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東洋大学の歴史と成り立ち|創立から現在までの歩み

東洋大学の概要

東洋大学は1887年(明治20年)に哲学者・教育者の井上円了(いのうええんりょう)が東京・湯島に創立した哲学館を前身とする私立総合大学だ。「諸学の基礎は哲学にあり」を建学精神として掲げ、哲学的思考に根ざした教育を実践してきた。現在は14学部・16研究科(要公式確認)を擁し、白山・朝霞・川越・坂戸・板倉など複数のキャンパスを持つ。


創立者・井上円了という人物

仏教と西洋哲学の融合者

井上円了(1858〜1919年)は越後国(現在の新潟県)の浄土真宗の寺院に生まれた。東京大学哲学科(当時は文学部哲学科)を卒業した後、仏教思想と西洋哲学の融合・対話を生涯の課題とした哲学者だ。

井上は西洋哲学(カント・ヘーゲル・スペンサーなど)の知識を使って仏教思想を近代的に再解釈しようとし、同時に「妖怪学」の研究でも知られる(迷信・妖怪を科学的・哲学的に解明しようとした)。

「余資なく優暇なき者に教育を開放する」

井上が哲学館を設立した最大の動機は「お金がなくても、忙しくても、学問を学べる場を作る」という平等な教育機会の提供にあった。「余資(お金の余裕)なく、優暇(時間の余裕)なき者に教育を開放する」という精神は、当時の高等教育が特権的なエリートのものだった時代における先進的な主張だった。


創立当初の姿——哲学館(1887年)

夜間教育と開かれた学問

1887年(明治20年)9月16日、井上円了は東京・湯島(現在の文京区)に哲学館を創立した。当初から夜間授業を行い、昼間に働く人々も学べる形式を取った。授業料も低く抑えられ、「誰でも学べる場」を目指した。

哲学館では哲学・倫理学・論理学・東洋哲学(仏教哲学含む)を中心とした教育が行われた。「どんな学問も、その根底には哲学的な問いがある」という「諸学の基礎は哲学にあり」という精神が、この時期に形成された。

哲学館から東洋大学へ

哲学館は1903年(明治36年)に「哲学館大学」に、そして1906年(明治39年)に「東洋大学」へと名称が変わった。「東洋」という名称には、「東洋(日本・アジア)の思想・文化を哲学的基盤として大学教育を行う」という意味が込められている。


近代化・戦前の発展(1887年〜1945年)

大学令による昇格(1928年)

1928年(昭和3年)、大学令による大学として正式に認可。文学部単独でスタートしたが、その後経済学部・法学部が加わり総合大学への歩みが始まった。

井上円了の死と精神の継承

井上円了は1919年(大正8年)に中国・大連で急逝した(享年61歳)。生涯に全国を旅して無料講演を行い、「哲学を民衆に広める」活動を続けた。その哲学普及への情熱が「諸学の基礎は哲学にあり」という建学精神として東洋大学に受け継がれている。


戦後の再建と発展(1945年〜)

新制大学への移行(1949年)

1949年(昭和24年)、新制大学として発足。文学部・経済学部・法学部の3学部体制でスタートした。

社会学部・工学部など多彩な学部の設置

1950〜70年代、東洋大学は社会学部・工学部・経営学部・社会学部など多彩な学部を設置し、「哲学を基礎とする総合大学」という方向性を維持しながら規模を拡大した。

白山キャンパスの整備

東洋大学の本拠地・白山キャンパス(東京都文京区)は、山手線・都営三田線の白山駅近くに位置する都心のキャンパスだ。哲学館の創立時から続く「東京の学問の中心地」という立地の歴史を引き継いでいる。


現代の姿

14学部・複数キャンパス体制

現在の東洋大学は14学部(要公式確認)を擁し、白山(東京・文京区)・朝霞(埼玉)・川越(埼玉)・坂戸(埼玉)・板倉(群馬)のキャンパスに分かれている。

国際化への取り組み

国際学部・グローバルコミュニケーション学部など、国際的な教育環境を整備しながら、哲学的思考力と国際的視野を兼ね備えた人材育成を目指している。


建学精神と歴史の関係

「諸学の基礎は哲学にあり」の現代的意味

「どんな学問も、その根底には『なぜ?』と問う哲学的思考がある」という建学精神は、現代においても東洋大学の教育の核に流れている。

法学・経済・工学・社会学など多様な学問分野を持ちながら、すべての学問の基礎に哲学的思考力を置くという方向性が、東洋大学の学問的文化の独自性だ。

「開かれた大学」という伝統

「余資なく優暇なき者に教育を開放する」という井上円了の精神は、「どんな立場の人でも学べる場を作る」という現代的な多様性・インクルージョンの先駆けとして評価できる。


東洋大学 主要年表

  • 1858年(安政5年) 井上円了、越後国(新潟)に生まれる
  • 1887年(明治20年) 井上円了が東京・湯島に哲学館を創立(9月16日)
  • 1903年(明治36年) 「哲学館大学」に改称
  • 1906年(明治39年) 「東洋大学」に改称
  • 1919年(大正8年) 井上円了、大連で急逝(61歳)
  • 1928年(昭和3年) 大学令による大学として認可
  • 1949年(昭和24年) 新制大学に移行。3学部体制
  • 1987年(昭和62年) 工学部設置(要公式確認)
  • 2008年(平成20年) ライフデザイン学部設置(要公式確認)
  • 2020年(令和2年) 国際観光学部・食環境科学部設置(要公式確認)

まとめ

東洋大学の歴史は、「誰でも学べる哲学の場を作りたい」という井上円了の強い信念から始まった。「諸学の基礎は哲学にあり」という建学精神は「どんな学問も、哲学的に問い続けることが本質だ」という方向性として現代も継承されている。


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本記事の情報は2026年5月時点のものです。詳細は各大学公式サイトでご確認ください。

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