明治大学の歴史と成り立ち|創立から現在までの歩み
明治大学の概要
明治大学は1881年(明治14年)に東京・神田に設立された明治法律学校を前身とする私立総合大学だ。「権利自由・独立自治」を建学の精神として掲げ、法学を中心に発展した歴史を持つ。現在は10学部・大学院15研究科を擁し、学部学生数は約3万3,000名(要公式確認)。駿河台・和泉・生田・中野の4キャンパスを擁する。
創立の背景——明治初期の法律学校設立ブーム
「法治国家」への道
1880年代は日本が近代的な法治国家の基盤を築こうとしていた時期だ。1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布、1890年の民法・商法制定を目指して、政府は法律の専門家を急いで育成する必要があった。
この時期、東京には多くの私立法律学校が設立された。明治大学の前身・明治法律学校もその一つだ。
3人の創立者——司法省法学校の同窓
明治大学を創立したのは岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操の3人だ。3人はいずれも明治政府の司法省法学校(フランス法を教育した官立学校)の卒業生で、フランス法の素養を持つ若い法律家たちだった。
1881年1月17日、3人は神田錦町に明治法律学校を開校した。最初の入学者は44名。フランス法を基礎に、当時の最先端の法学を日本語で教えるという方針で出発した。
創立当初の姿(1881年〜)
フランス法から英米法・日本法へ
明治法律学校はフランス法(大陸法)を中心とした法学教育を行っていたが、明治政府が法体系を整備する過程で、ドイツ法の影響が強まっていった。また英米法の重要性も増し、明治大学は時代とともに幅広い法学教育へと発展した。
建学精神「権利自由・独立自治」
創立者たちが掲げた「権利自由・独立自治」という精神は、「個人の権利を守り、国家や権力から自由であり、自らが自らを治める」という近代的な法の精神を体現している。これは明治政府による上からの近代化に対して、民権運動・自由民権運動という「下からの近代化」を支持する姿勢でもあった。
近代化・戦前の発展(1881年〜1945年)
専門学校・大学への昇格
1903年(明治36年)、明治法律学校は明治大学と改称し、専門学校令による専門学校へ昇格した。1920年(大正9年)、大学令による大学として正式に認可され、法・商・政治経済の3学部を擁する総合大学への道を歩み始めた。
女子部の設置——先進的な女性教育
1929年(昭和4年)、明治大学に女子部が設置された。当時の日本の大学では女性の入学を認める大学はほとんどなく、この決断は極めて先進的なものだった。法学・経済学を女性も学べるという方針は、「権利自由」という建学精神の現代的実践だった。
刑事博物館・農学部
1929年には刑事博物館(現在の刑事博物館)が設置された。また1944年(昭和19年)には農学部が設置され(要公式確認)、法学中心から総合大学へのさらなる転換が進んだ。
戦後の再建と発展(1945年〜)
新制大学への移行(1949年)
1949年、新制大学として発足。法・商・政治経済・文・工・農の6学部体制でスタートした。
「駿台」の精神と学生運動
1960〜70年代、「駿台(駿河台)」という地名とともに明治大学は学生運動の拠点的な大学としても知られるようになった。「権利自由・独立自治」という建学精神は、学生自治・民主主義・自由への強いこだわりという形で受け継がれた。
学部拡充と中野・川崎への展開
1990年代以降、情報コミュニケーション学部(2004年設置)、国際日本学部(2008年設置)などを新設。また中野キャンパスには国際日本学部・総合数理学部が置かれ、農学部は生田キャンパスに移転するなど、複数キャンパス体制が整った。
現代の姿
10学部・4キャンパス体制
現在の明治大学は以下の10学部を擁する(要公式確認):
- 法学部(駿河台)
- 商学部(駿河台)
- 政治経済学部(駿河台)
- 文学部(駿河台)
- 情報コミュニケーション学部(駿河台)
- 理工学部(生田)
- 農学部(生田)
- 経営学部(駿河台)
- 国際日本学部(中野)
- 総合数理学部(中野)
建学精神と歴史の関係
「権利自由・独立自治」は、明治法律学校創立時の「個人の権利を国家・権力から守る」という法学精神から生まれた。現代においてこの精神は「自由な知的探究」「権威に依存しない自律的な思考」として継承されている。
「在野精神」——官界ではなく民間から社会を動かす——という早稲田と共通する精神が、明治大学の学問的文化にも流れている。「民間の立場から法律・経済・社会の問題に向き合う専門家を育てる」という方向性は、140年以上を経た現在も変わっていない。
明治大学 主要年表
- 1881年(明治14年) 岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操が明治法律学校を創立(1月17日)。入学者44名
- 1903年(明治36年) 明治大学と改称。専門学校令による専門学校に昇格
- 1920年(大正9年) 大学令による大学として認可。法・商・政治経済の3学部
- 1929年(昭和4年) 女子部設置(当時の私大では先進的な決断)
- 1944年(昭和19年) 農学部設置
- 1949年(昭和24年) 新制大学に移行。6学部体制
- 2004年(平成16年) 情報コミュニケーション学部設置
- 2008年(平成20年) 国際日本学部設置(中野キャンパス)
- 2013年(平成25年) 総合数理学部設置
まとめ
明治大学の歴史は、明治時代に日本が近代法治国家へと変貌する過程の中で生まれた。「権利自由・独立自治」という建学精神は、政府主導の上からの近代化に対する民間知識人の応答であり、140年後の現在も「在野精神」「自由な知的探究」として受け継がれている。
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本記事の情報は2026年5月時点のものです。詳細は各大学公式サイトでご確認ください。
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