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同志社大学の歴史と成り立ち|創立から現在までの歩み

同志社大学の概要

同志社大学は1875年(明治8年)に新島襄(にいじまじょう)が京都・今出川に創立した同志社英学校を前身とする私立総合大学だ。「良心の全身に充満したる丈夫」を育てるという新島の理念が「良心教育」として受け継がれ、「自由主義・キリスト教主義・国際主義」の3つの柱を持つ大学として知られる。現在は14学部・15研究科(要公式確認)を擁し、今出川・京田辺の2キャンパスを持つ。


創立の背景——新島襄の生涯と使命

函館からアメリカへの密航

新島襄(1843〜1890年)は幕末の江戸に生まれ、下級武士の家に育った。キリスト教思想・西洋の学問に強い関心を持ち、1864年(元治元年)、当時は国禁だった海外渡航を試み、函館から小型船で脱出し、アメリカに渡った。

アメリカでは苦学しながらフィリップス・アカデミー・アマースト大学・アンドーバー神学校で学び、キリスト教の洗礼を受けた。1874年(明治7年)、10年ぶりに帰国する際には「日本にキリスト教主義の大学を作る」という使命を胸に抱いていた。

旧都・京都での挑戦

新島が学校の設立地に選んだのは京都だった。当時の京都は仏教・神道の中心地であり、キリスト教に対する抵抗感が最も強い場所の一つだった。しかし新島は「日本の文化的中心地でキリスト教教育を行うことに意義がある」と考え、あえて京都を選んだ。


創立当初の姿(1875年)

同志社英学校の開校

1875年(明治8年)11月29日、新島襄は同志社英学校を京都・今出川の地(元・薩摩藩邸)に創立した。最初の生徒はわずか8名。英語・聖書・科学を中心とした教育が行われた。

「同志社」という名称は「同じ志を持つ人々の集まり」という意味を持つ。新島は「同じ志(キリスト教主義と近代的教育への情熱)を持つ人々が集まって作る学問の場」として命名した。

「良心の全身に充満したる丈夫」

新島は創立にあたって「良心の全身に充満したる丈夫を造る事、これ余が生涯の念願なり」という言葉を残した。「良心が全身に充ち満ちた男(丈夫)を育てることが自分の生涯の願いだ」という意味で、これが現代に「良心教育」として受け継がれている。


近代化・戦前の発展(1875年〜1945年)

同志社大学の誕生(1920年)

新島は1890年(明治23年)に46歳で早逝したが、彼が蒔いた種は育ち続けた。同志社英学校は専門学校令・大学令による組織整備を経て、1920年(大正9年)に大学令による大学「同志社大学」として正式に認可された。

神学部・文学部・商業専門学部などを持つ総合的な高等教育機関として発展した。

女子教育の先駆け——同志社女子部

新島は女性教育にも熱心で、1876年(明治9年)に同志社女子部(後の同志社女子大学)が設立された。明治初期に女性の高等教育機会を提供したことは、当時としては極めて先進的な取り組みだった。


戦後の再建と発展(1945年〜)

新制大学への移行(1949年)

1949年(昭和24年)、新制大学として発足。文学部・神学部・経済学部・商学部・法学部・工学部の6学部体制でスタートした。

京田辺キャンパスの開設(1986年)

1986年(昭和61年)、京都府京田辺市に新キャンパスが開設された。現在は理工・生命医科・スポーツ健康科学・心理学・グローバル・コミュニティ福祉などの学部が設置されている。


現代の姿

14学部・2キャンパス体制

現在の同志社大学は14学部を擁する(要公式確認)。今出川キャンパス(京都・烏丸通沿い)と京田辺キャンパスの2拠点に分かれている。

今出川キャンパスは御所(京都御苑)の北東、烏丸通沿いという京都の歴史的中心地に位置しており、キャンパスそのものが京都の文化・歴史と一体化している。

「良心教育」の現代的実践

「良心教育」は現代においても「自己の内なる良心に従って行動する倫理的な判断力を持つ人材を育てる」という形で実践されている。


建学精神と歴史の関係

「良心教育」の深みと独自性

「良心教育」は単なる道徳教育ではない。「自分の内なる良心の声に従って考え、判断し、行動する能力を養う」という個人の内面的な倫理主体の形成を目指している。これはキリスト教の「神の前での個人の自由と責任」という思想に基づく。

新島襄の精神的遺産

新島が函館から密航しアメリカで学んだという経歴は、「自分が正しいと信じることのために困難をいとわない」という良心に従った生き方の体現だった。この精神的遺産が、「自由主義・キリスト教主義・国際主義」という同志社大学の3本柱として結実している。


同志社大学 主要年表

  • 1843年(天保14年) 新島襄、江戸に生まれる
  • 1864年(元治元年) 新島、函館より密かにアメリカへ渡航
  • 1874年(明治7年) 10年ぶりに帰国。京都での学校設立を決意
  • 1875年(明治8年) 同志社英学校を京都・今出川に創立(11月29日)。生徒8名
  • 1876年(明治9年) 同志社女子部設立
  • 1890年(明治23年) 新島襄、46歳で死去
  • 1920年(大正9年) 大学令による大学として認可
  • 1949年(昭和24年) 新制大学に移行。6学部体制
  • 1986年(昭和61年) 京田辺キャンパス開設
  • 2004年(平成16年) 政策学部・文化情報学部設置(要公式確認)
  • 2013年(平成25年) グローバル・コミュニケーション学部・グローバル地域文化学部設置(要公式確認)

まとめ

同志社大学の歴史は、幕末に密航してアメリカで学んだ新島襄が「日本に良心的な人材を育てる学校を作る」という強い使命感から、あえて宗教的抵抗の強い京都に小さな英学校を開いたことから始まった。「良心の全身に充満したる丈夫を造る」という精神は、「自己の内なる良心に従って生きる人材の育成」として現代も継承されている。


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本記事の情報は2026年5月時点のものです。詳細は各大学公式サイトでご確認ください。

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