大学情報

上智大学の歴史と成り立ち|創立から現在までの歩み

上智大学の概要

上智大学(Sophia University)は1913年(大正2年)にカトリック修道会イエズス会によって東京・四谷に創立された、日本を代表するキリスト教系総合大学だ。「For Others, With Others(他者のために、他者とともに)」を建学の精神として掲げ、国際的な教育と人文・社会・理工・神学にわたる総合的な学問を提供している。現在は9学部30学科を擁する(要公式確認)。


創立の背景——イエズス会と日本への宣教の歴史

フランシスコ・ザビエルの夢

上智大学の遠い起源は、1549年(天文18年)にフランシスコ・ザビエルが日本に上陸したことに求められる。ザビエルはイエズス会の宣教師として日本にキリスト教を伝えた最初の人物であり、鹿児島・山口・京都などを訪れた後、「日本に大学を作りたい」という夢を持ち続けた。しかし1552年、中国・上川島で志半ばにして死去した。

この「日本に大学を」というザビエルの夢が、約350年後の1913年に上智大学として実現したとされる。

近代日本へのイエズス会の再来

1908年(明治41年)、ローマ教皇ピウス10世はドイツのイエズス会員を日本に派遣し、東京に大学を設立するよう命じた。当時の日本では明治政府によるキリスト教への制約が一部残っていたが、明治政府も近代化・国際化のために外国の教育機関の貢献を必要としていた。


創立当初の姿(1913年)

専門学校として出発

1913年(大正2年)3月、上智大学(当初は上智学院専門学校)は東京・四谷に設立された。最初の教職員はドイツ人イエズス会士3名で、初代学長はヘルマン・ホフマン神父だった。

開校当初の学生数は30名程度で、文学科・商科の2学科からスタートした。「Sophia(ソフィア)」はギリシャ語で「知恵・叡智」を意味し、「知恵を愛する(哲学)」というイエズス会の教育理念を体現した大学名だった。

キャンパスの立地——四谷という場所

上智大学の四谷キャンパスは開学以来、東京都心のほぼ同じ場所に位置している。新宿区と千代田区の境に近い四谷という立地は、東京の知的・文化的中心地としての役割を果たしてきた。現在もJR四谷駅前という利便性の高い場所に、一つのキャンパスに全学部が集まる「ワンキャンパス体制」を維持している。


近代化・戦前の発展(1910年代〜1945年)

大学令による昇格(1928年)

1928年(昭和3年)、大学令による大学として正式に昇格し、「上智大学」となった。文学部・商学部・ドイツ語部の構成でスタートした。

キリスト教主義の大学として、「真の知恵は信仰と学問の統合から生まれる」というイエズス会の教育哲学が、上智大学の学問的姿勢の根底に置かれた。

戦時下の困難

1930〜40年代、日本の軍国主義の高まりとともに、上智大学もキリスト教系機関として圧力を受けた。1932年(昭和7年)には「靖国神社参拝拒否事件」として知られる出来事があり、上智大学の学生が軍の神社参拝強制に対して信仰上の理由から拒否したことが問題となった。この事件は上智大学の信仰と学問への姿勢を象徴するエピソードとして語られている。


戦後の再建と発展(1945年〜)

新制大学への移行(1949年)

1949年(昭和24年)、新制大学として発足。文学部・外国語学部・経済学部・理工学部の4学部体制となった。特に外国語学部の設置は、上智大学の国際的な方向性を明確に示すものだった。

外国語学部は英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語・ロシア語などの多様な言語教育と、その言語圏の文化・社会研究を組み合わせた独自の教育を提供した。これが後の上智大学の「語学・国際教育に強い大学」というブランドの基盤となった。

1960〜70年代の発展

1962年(昭和37年)、理工学部の充実により総合大学としての体制が整った。1968年(昭和43年)には比較文化学部(現在の国際教養学部の前身)が設置され、異文化理解・比較文化研究の学問分野を開拓した。

国際教養学部の設置(2011年)

2011年(平成23年)、国際教養学部(Faculty of Liberal Arts)が設置された。全授業が英語で行われ、日本人と留学生が同じクラスで学ぶというカリキュラムは、当時の日本の大学教育において先進的な試みだった。この学部はイエズス会の「リベラルアーツ教育(総合的人間教育)」の理念を現代的に体現するものだ。


現代の姿

9学部体制とワンキャンパス

現在の上智大学は以下の9学部を擁する(要公式確認):

  1. 神学部
  2. 文学部
  3. 総合人間科学部
  4. 法学部
  5. 経済学部
  6. 外国語学部
  7. 国際教養学部
  8. 理工学部
  9. 国際関係法学科(法学部内)

四谷という一つのキャンパスに全学部が集まるワンキャンパス体制が、学部横断的な交流と学際的な学問を支えている。

国際的な環境

上智大学は外国人学生・教員の比率が高く、日常的に英語・複数の外国語が使われるキャンパス環境が特徴だ。世界のイエズス会系大学とのネットワーク(AJCU:米国イエズス会大学協会等)を通じた国際交流も活発だ。


建学精神と歴史の関係

「For Others, With Others」の意味

「For Others, With Others(他者のために、他者とともに)」という上智大学の標語は、イエズス会の「他者への奉仕」という使命を凝縮している。「自分だけの成功・利益を追うのではなく、他者と共に生き、他者のために学問を活かす」という姿勢が求められる。

この精神は現代においても、上智大学の学生が「社会課題・国際問題に積極的に向き合う」という姿勢として体現されている。

イエズス会教育の特徴——「全人教育」

イエズス会が重視する「Cura Personalis(全人の配慮)」——一人ひとりの学生を知性・精神・人格の総体として育てる——という教育哲学は、上智大学の少人数教育・丁寧な学生指導の伝統として受け継がれている。


上智大学 主要年表

  • 1549年(天文18年) フランシスコ・ザビエルが日本に上陸。「日本に大学を」という夢を抱く
  • 1908年(明治41年) ローマ教皇がドイツイエズス会に日本での大学設立を命令
  • 1913年(大正2年) 上智学院専門学校として四谷に設立。初代学長ヘルマン・ホフマン
  • 1928年(昭和3年) 大学令による上智大学として昇格
  • 1932年(昭和7年) 靖国神社参拝拒否事件
  • 1949年(昭和24年) 新制大学へ移行。文学・外国語・経済・理工の4学部
  • 1958年(昭和33年) 外国語学部内に日本語・日本文化学科設置(留学生教育の先駆け)
  • 1962年(昭和37年) 理工学部拡充、総合大学体制が整う
  • 1968年(昭和43年) 比較文化学部設置(国際教養学部の前身)
  • 2011年(平成23年) 国際教養学部設置(全授業英語)

まとめ

上智大学の歴史は、フランシスコ・ザビエルの「日本に大学を」という夢から始まり、350年以上の時を経てイエズス会によって実現したという壮大な物語だ。

「For Others, With Others」という精神のもと、信仰と学問の統合、多言語・国際的な教育環境、全人教育という特徴を持つ大学として発展してきた。キリスト教系ということで「信仰がないと入れないのでは」と思う受験生もいるが、信仰の有無に関わらず入学でき、多様な価値観を持つ学生が学ぶ環境となっている。


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本記事の情報は2026年5月時点のものです。詳細は各大学公式サイトでご確認ください。

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