龍谷大学の歴史と成り立ち|創立から現在までの歩み
龍谷大学の概要
龍谷大学は1639年(寛永16年)に西本願寺(浄土真宗本願寺派)第13代宗主・良如(りょうにょ)が学寮を創設したことを起源とする。1300年以上の歴史を持つ浄土真宗本願寺派の教育機関として発展し、1922年に「龍谷大学」という名称を正式に得た。「共生(ともいき)」を基本理念に掲げ、現在は3キャンパス(深草・瀬田・大宮)に10学部を擁する総合大学だ。学生数は約2万人規模(要公式確認)。
日本の私立大学の中でも屈指の歴史を誇り、「仏教の精神に基づく人間形成」という一貫したテーマが380年以上にわたって受け継がれている。
創立の背景——西本願寺と教育
浄土真宗と学問
浄土真宗は鎌倉時代の宗教改革者・親鸞聖人(1173〜1262年)が開いた仏教の一宗派だ。「南無阿弥陀仏」を称えることで、すべての人が阿弥陀如来の本願(ほんがん)によって救われるという「他力本願」の教えが核心にある。
親鸞の教えは「すべての人間は等しく仏の光の中にある」という平等観を持ち、階層を問わず広く民衆に広まった。この「万人の平等」という思想は、後の龍谷大学の教育理念「共生(ともいき)」——すべての命が共に生きるという仏教的な世界観——の根底となっている。
浄土真宗の教団は鎌倉以来、各地に寺院を築きながら、僧侶の教育・育成を重要な課題と位置づけてきた。学問と信仰の統合が教団にとって不可欠だったのだ。
西本願寺の役割
本願寺(現在の西本願寺)は室町時代から戦国時代にかけて浄土真宗教団の中心となり、豊臣秀吉・徳川家康との関係を経て京都に重要な拠点を構えた。
江戸幕府の支援を受けながら教団の安定を図った西本願寺は、17世紀に入ると僧侶の教育・養成のための学問所の設立を本格的に検討するようになった。
学寮の創設(1639年)
良如による学寮設立
1639年(寛永16年)、西本願寺第13代宗主・良如(1613〜1662年)は西本願寺境内に学寮を創設した。これが龍谷大学の直接の起源とされる。
「学寮」とは、寺院内に設けられた学問所であり、僧侶の教育・育成の場だ。当初は浄土真宗の経典・教義の研究、および寺院の行政を担う僧侶の養成が主たる目的だった。
「最古クラス」の意味
この1639年の学寮創設は、現存する日本の大学の起源として極めて早い時期にあたる。日本の大学は明治以降に設立されたものが多い中、江戸時代初期に遡る起源を持つ大学は数少ない。
龍谷大学はこの歴史的な連続性を誇りとしており、「日本最古クラスの歴史を持つ大学」として知られている。
近代化までの歩み(1639年〜1900年)
学林(1807年)
1807年(文化4年)、西本願寺の教育機関は「学林(がくりん)」と改称された。学林は単なる経典研究の場から、より体系的な教育機関として整備されていった。
この時期、西本願寺の学林は浄土真宗教団の学問的中心として機能し、各地から優秀な僧侶・学僧が集まるようになった。
大教校(1876年)
1876年(明治9年)、明治政府による宗教教育政策の変化を受け、「大教校(だいきょうこう)」として再編された。明治維新後の日本では、仏教教団は「廃仏毀釈」の嵐を乗り越えながら、近代的な学校教育の枠組みの中で自らの教育機関を再構築しなければならなかった。
仏教専門大学(1900年)・仏教大学(1904年)
1900年(明治33年)、「仏教専門大学」として専門学校令に基づく学校として位置づけられた。さらに1904年(明治37年)には「仏教大学」と改称し、仏教学だけでなく文学・哲学なども教える総合的な高等教育機関としての性格を強めていった。
龍谷大学の正式設立(1922年)
大学令による認可
1922年(大正11年)、大学令(1918年制定)に基づく大学として認可され、「龍谷大学」という名称を正式に得た。仏教学部・文学部の2学部体制でスタートした。
「龍谷」という名称は、西本願寺の境内の一角にある「龍谷(りゅうこく)」という地名・場所に由来するとされている。
一貫した仏教精神
大学としての正式設立後も、「仏教の精神に基づく人間形成」という理念は一貫して保たれた。学問の探究と信仰・内省的な人間形成の統合という、学寮創設以来の伝統は現代に至るまで継承されている。
戦後の発展(1949年〜)
新制大学への移行
1949年(昭和24年)、学制改革により新制大学として発足した。仏教学部・文学部・経済学部の3学部体制でスタートした。
3キャンパス体制の確立
大宮キャンパス(京都・西本願寺前)
龍谷大学の発祥の地であり、1639年の学寮創設の地でもある。現在は仏教学部・文学部が置かれる文系の拠点キャンパスだ。国の重要文化財に指定された建造物も残っており、約380年の歴史を感じさせる。
深草キャンパス(京都市伏見区)
龍谷大学の中心的なキャンパスで、法学部・政策学部・経済学部・経営学部・社会学部・国際学部などが集まる。近鉄京都線・龍谷大前深草駅が直結しており、交通アクセスに優れている。学生の大多数が在籍するメインキャンパスとして機能している。
瀬田キャンパス(滋賀県大津市)
理工学部・農学部・先端理工学部など理系学部が中心のキャンパスだ。琵琶湖の近くの広大な敷地に位置し、実験・研究施設が充実している。
多様な学部の設置
戦後から1990年代にかけて、理工学部・社会学部・法学部・経営学部・農学部・国際文化学部(現・国際学部)などが次々と設置された。浄土真宗の宗学(仏教学)を中心とした大学から、理工・農学も含む総合大学へと発展した。
現代の姿
10学部・3キャンパス体制
現在の龍谷大学は10学部(要公式確認)を擁する。仏教学部・文学部・経済学部・経営学部・法学部・政策学部・社会学部・国際学部・先端理工学部・農学部(要公式確認)などが3つのキャンパスに分散して配置されている。
学生数は約2万人規模(要公式確認)であり、京都・滋賀を基盤とした西日本有数の私立総合大学として知られている。
「共生(ともいき)」という理念
龍谷大学の現代の基本理念は「共生(ともいき)」だ。「共生」は浄土真宗の世界観に基づく概念であり、「あらゆる命が相互につながり、共に生きる」という思想を示している。
単なる「多文化共生」「共存」という社会的な意味だけでなく、「すべての存在が阿弥陀如来の光の中にある」という仏教的な宇宙観・人間観が込められている。
この「共生」理念は、現代の龍谷大学において「他者を尊重し、地球環境と共に生きる」という形で教育理念・研究方針に反映されている。
建学精神と歴史の関係
「共生(ともいき)」の深み
龍谷大学の「共生(ともいき)」という理念には、以下の複数の意味が重なっている。
仏教的な意味: 親鸞聖人の教えが示す「すべての命は仏の光の中にある」という平等観。階層・身分に関わらず、すべての人間が等しい価値を持つという浄土真宗の核心的な思想。
社会的な意味: 多様な文化・価値観・背景を持つ人々が共に生きる社会を作るという現代的な課題への応答。
環境的な意味: 人間と自然・地球環境が調和して存在するという生態的・環境的視点。
380年を超える教育の蓄積
1639年の学寮創設から現代の龍谷大学まで、385年以上にわたる教育の継続は、日本の私立大学の中でも例外的な歴史的深度を持つ。この長い歴史の中で「仏教の精神」は時代とともに解釈を更新しながら、現代の「共生(ともいき)」という形で受け継がれている。
仏教大学としての開放性
龍谷大学は浄土真宗の大学だが、信仰の有無に関わらず入学できる(要公式確認)。「仏教の精神」は宗教的な実践を求めるものではなく、「他者を尊重し、共に生きる」という普遍的な人間観として、多様な背景を持つ学生に開かれている。
龍谷大学 主要年表
- 1173年(承安3年) 親鸞聖人、生まれる
- 1224年(元仁元年) 親鸞聖人、「教行信証」を著す(浄土真宗の基本経典)
- 1639年(寛永16年) 西本願寺第13代宗主・良如が学寮を創設(大学の起源)
- 1807年(文化4年) 「学林」に改称
- 1876年(明治9年) 「大教校」として再編
- 1900年(明治33年) 「仏教専門大学」として専門学校令に基づく学校となる
- 1904年(明治37年) 「仏教大学」と改称
- 1922年(大正11年) 大学令による「龍谷大学」として正式認可。仏教・文の2学部
- 1949年(昭和24年) 新制大学として発足。3学部体制
- 1967年(昭和42年) 理工学部設置(要公式確認)
- 1989年(平成元年) 瀬田キャンパス開設(滋賀県大津市)
- 1989年(平成元年) 社会学部設置(要公式確認)
- 1999年(平成11年) 国際文化学部設置(要公式確認)
- 2023年(令和5年) 先端理工学部設置・農学部設置(要公式確認)
まとめ
龍谷大学の歴史は、1639年に西本願寺第13代宗主・良如が浄土真宗の僧侶育成のために学寮を創設したことから始まった。385年以上にわたる仏教教育の伝統は、親鸞聖人の「すべての命は等しく尊い」という思想に根ざしており、現代では「共生(ともいき)」という理念として表現されている。江戸時代初期に遡る日本最古クラスの歴史を持つ大学として、浄土真宗の精神は3キャンパス・10学部の総合大学という現代的な姿の中にも脈々と受け継がれている。
関連記事
本記事の情報は2026年5月時点のものです。詳細は各大学公式サイトでご確認ください。
志望理由書の改善点は? 1分で結果がわかる。
1分!
下書きを無料で添削。 改善点がすぐわかる。
1分!